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イメージ図その2(拡大)

イメージ模型
上記画像はあくまでもイメージ
(設置案のひとつ)です。
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●ハッピーベル・プロジェクトのはじまり その1
「街のどこかで、赤ちゃんが生まれたら鐘をならして、その音をみんなが聞いて、『あ、どこかで赤ちゃんが生まれたな』って思う。そんな街があれば素敵じゃないかな。」池辺宜子が10年ほど前から語っていたこと。
街を歩いていて不意に聞かされる音、たとえば救急車のサイレンの音や車のクラクションの音。心が固くなってしまう音が多いなか、子どもの誕生を知らせる音が響いたらどんなに素敵でしょう。
そのささやかな思いからハッピーベルの構想が始まりました。
●ハッピーベル・プロジェクトのはじまり その2
せっかく授かった命が大人の事情で葬らされたり、児童虐待の痛ましいニュースが尽きることがない。少子化で子どもの数が少なくなっている。
そんな社会情勢の中にハッピーベルの音が響くことで、命の誕生の喜び、希望ある未来を感じることができるのではないか、社会活動となるのではないかと彼女は最初考えていました。
しかし、その裏で、「鐘の音を聞いても喜べない人、悲しい気持ちになる人がいる。妊娠が判ったときでさえ喜べない人もいる。」という、しこりもありました。
そんな時、ある美術家に、「池辺さん、これはアートだよ。」と言われ、彼女はハッとしました。
「社会に向かって主張する社会運動ではなく、アートだったら人間の普遍的な魂の癒しとして鐘の音を奏でることができるのでは・・・。」
「アートとして、ハッピーベルの鐘の音を響かせよう。」
彼女のその思いがだんだんと多くの人の耳に入り、その思いに賛同する仲間が集まり、2008年、ハッピーベルプロジェクトがはじまりました。
●ハッピーベル・プロジェクトのはじまり その3
宮崎市市街地の北部にある平和台公園。
ここは、標高60mの高台にあり、宮崎市、大淀川、太平洋を望み、そして照葉樹の豊かな森に囲まれた、県民が憩う場所です。しかしそこには戦時中の1940年に、「八紘一宇」という言葉とともに軍国主義のシンボルとして建てられた塔があります。この塔には、戦時当時、日本軍が侵略した地から略奪した石が一部使われています。
いまでは「平和の塔」と呼ばれ県民に親しまれていますが、日本が侵略した戦争の遺産であるという真実を知る人は少ないのが現状です。
「そのような「戦争」という過去を刻んだこの塔と対峙して「ハッピーベル」の音が響くことで、人の命というはかないものの、大切さ、尊厳を思いあうことができ、本当の意味で、次世代に残せる県民の森、平和のための公園になるのではないかと思う。」
ハッピーベルが宮崎県内、日本全国そして世界中にたくさんできるといいなと思っていますが、その最初は、この平和台公園であってほしいと思い,
ハッピーベル・プロジェクトの活動をはじめました。
●ハッピーベル・プロジェクトの活動
現在、ハッピーベル・プロジェクトは、鐘を設置する費用を寄付で受け付けています。一口1,000円です。
また、いろいろなイベントを企画し、命の貴さ、命の誕生のすばらしさを呼びかけたり、音楽会、ワークショップ、アートの展覧会などを開催していきます。
そして、新しい命の誕生を知らせる「ハッピーベル」を鳴らしています。
まだ鐘自体はできていませんが、いまは代用の鐘で鳴らしています。すでに何組かの方々のハッピーベルを鳴らしました。
もし、鐘を鳴らしてほしい方は、いつでも受け付けまています。
お問い合わせページよりご連絡ください。
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